八景仙人

仙人のような生き方を模索してる八景のメッセージ

考える事ができる葦

人間は考える葦である

 

この一文を聞いた事がある人はいるでしょうか?

恐らく中高生までに一度くらいは学校で聞いた事があると思います。

 

幼少から神童と呼ばれ、

数々のジャンルで活躍したブレーズ・パスカルの有名な言葉だ。

 

「考える葦である」と言うのは

「考えてしまう」という他動的なニュアンスにも聞こえるので

「考える事ができる葦である」と言う方がしっくりくるのであります。

そして、「考える事ができる」と言うことは

つまり、「考えない」という選択肢もあるという訳で、

漠然と生きていると考えずに生きている「葦」になってしまうのである。

 

さて、それでは「考える」とはどう言う事であろうか?

日本の教育では「考える」と言うことは

まず「人に迷惑を掛けない。」と言うことが真っ先に思いつく。

常識、体裁を考え、

目上の人には敬語を使い、

謙虚に生きることを「考える」と教えられる。

 

これまでの日本は

先人が築いた組織やグループに属することで社会で生きていく事ができた。

だから、先人に敬意を表し、

体裁を考え、敬語を使って話してきた。

時に理にかなわないことでも、

明らかに知的レベルの低い先輩にも「考えて」接してきた訳である。

 

しかし、それもわずかなうちに綻びてしまった。

 

今の若者は自分の将来を考える時、

どこかに属し、一生その組織に貢献し生きていこうと決意している人は

一昔前に比べると少なくなっているのは明らかだ。

と言うより、

将来を冷静に見据えて、

組織所属一択というのは、

先見の明がなさすぎて危なっかしいように思うのだ。

 

そこで、

「考える事ができる葦」なのである。

私たちの存在は、植物と何ら変わらない。

しかし、自分の生きていく環境を考え、

選択することができる。

頭が固くなって、

固定観念で埋め尽くされる前に、

親や教育機関に洗脳される前に、

自分で考え行動するのだ。